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脳内メモ [盆栽のはなし]

川越銘木センターさん
への取材を通して

矢島清芳園さんでも取材ができました。
そしてプロではないものの多くの人に出会った。

和の美の世界は奥深く広い世界であり、
それぞれ表現が異なるものの
『エッセンス』はぶれることなく同じ。

矢島清芳園さんで昨日お伺いした事もまた素晴らしいものだった。

ここまでの僕の脳内を整理すると・・・・

そもそもは・・・・


茶の湯などは超上流身分の嗜みだった。お茶に限らず、盆栽にしろ、活け花にしろ、俳句にしろ。和の美のそのあたりの事は人口比率でいえば当時は1パーセント程度だったのか?床の間がある家に住んでいる人は極一部の身分の人のものだった。

金銭的もの
身分的なもの
心が豊か的なもの
この3つがセット。

和の美は心の豊かさであるものの、身分的なもの金銭的なものなどがセットになっていた。

それが江戸時代になり庶民の中からお金持ちが現れた。その人たちが金銭的に満たされ始めると、それまでは超上流身分の嗜みだった和の美の世界の事に手を出し始める。
 床の間のある家を建てて、茶室を作り、茶道の先生を呼んでみたり、活け花の先生を呼んでみたり・・・・理由は現時点で分からないが時代が下り幕府が床の間を作る事を規制した時期もあった。

明治時代になり国が大きく変わり、一時期は床の間ブームがあった。

なお、古墳というものがあるが、大和朝廷時代は古墳の造営に法律があり身分相応の古墳をつくるように規制された。しかし時代がくだりそのルールが無効化すると庶民の間にちょっとした古墳ブームがあった事は各地のあまり価値がない古墳群などから推察される

明治、大正、昭和ときて、大戦があり戦後へ。高度成長期へ。建売住宅というビジネスモデルが始まり、床の間がある家が急増し、盆栽ブームなどもあり、和の美がかつてないほど庶民に広がるものの・・・・・

和の美の精神性や神髄などそのような『ソフト』の普及が追い付かなく、床の間が物置場所になってしまうなどあっという間に廃れてしまった。庶民の間では。

金銭的なもの
心の豊かさとがあり、心の豊かさという概念が忘れられた時代に突入したのが『平成』

現在では特権階級的な日本人でも
和の美の世界について考える人は極一部

明文化されたものはなく、和の美の世界は絶滅危惧種に

例えば盆栽では、『物』として扱われ、『物』として解説されてしまっている。
しかし本当は全ての事に『和の美から導かれる絶対的なルール』があり、師匠と生徒との間で体験を通して伝えあってきた。たそれが途絶えてしまっていた。

僕が先日公開した記事 盆栽と真行草は、以前は熟知している人がいた。矢島清芳園さんのお父様への取材でも『そんな話をしてくる人はどれくらいの時代ぶりかな』とすごく歓迎してくださりました。

そこで見えてきたのが『心の豊かさ』という概念。

平成になり、年収の高さやマンションの価格、株価などあくまでも金銭的な豊かさの話ばかりになってしまった。日本人の間で心の豊かさという概念が絶滅危惧種に

盆栽はそれでもコレクション的な趣味として残っているものの、和の美の世界のものであったのだが、『古典的』な精神性などを踏まえ語れる人はほとんどいなくなってしまっている。

矢島清芳園では、敢えて自分から語る事はしないまでも、尋ねてくだされば教えましょうというそこでも侘び的な精神性で教えてくださったのですが

ここまでの取材を一度まとめましょう。

『心の豊かさ』

このキーワードが一つのテーマ。矢島清芳園でこのキーワードがお父様から出てきた時に、衝撃を受けました。盆栽をどれだけ考えてきたのか。どれだけ俯瞰してきたのか。人生を通して盆栽に深くかかわってきた人だからこその重い言葉でした。


盆栽と真行草
盆栽と侘び寂び

それはほぼ絶滅種。でも、その考え方で盆栽を嗜んでいる人はこの世界にまったくいないわけではなかった。
ただし100人いないかも?数十人?数人?