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【更新あり】冷夏になるならば・・・・ [太陽活動低下問題]

追記・2020 07 18
以降の内容は最新の理解により大幅に前進しています。
筆者の脳内メモクオリティに止まります。いずれ非公開設定にしますが
もうしばらく公開しておきます。

最新の発表は・・・・・
https://mogura-no-mogu.blog.ss-blog.jp/2022-09-14-god-given-talent
こちらです。

mogu-pr-02.jpg
現代の温暖かなる現象の主因ですが



mogu-jikansa-1500y-fig-2023-0222-03.jpg
太陽風プラズマと太陽光には時間差があった。つまり太陽光がジワジワと上昇してきた結果。



mogu-global-solar-radiation-fig-03.jpg
一例・気象庁高層観測所より・実測データ
な~んだ。こんなシンプルな話だったんかいw

というわけで、以降の内容は古いものであり、
上記リンク先でより進んだ分析結果を公開しています♪


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以降の内容はめっちゃ古いからね!
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今年の2月末にこんな記事を公開していました。

https://mogura-no-mogu.blog.so-net.ne.jp/2019-02-27-1
伏線・今年の夏
今年の夏が冷夏になったら?(東日本・第一種冷夏)

現実味を帯びてきています。
もう少し様子をみましょう。

※盆栽と冷夏
東日本の冷夏という条件で・・・・盆栽の芽摘みですが、
日中の気温が20度を超えていれば芽摘みや葉狩りなどは可能なはず。
と矢島清芳園さんにて確認してきました。
※もちろん栄養状態などに拠るのでそこは各自で補正してください。

例えばケヤキなどでは日照少ない分、葉と葉の間隔が詰まるなど盆栽としては
冷夏が悪いものとは限らないそうです。そこは野菜や果物と違うようです。
栄養に関しても通常通りで良いと考えますとの事。

【2019.10.15追記】
7月は冷夏展開。しかし8月からは猛暑展開。『周極うず』の発達が例年以上に。そして結果として偏西風のカーブがより偏り、人間にとって都合が良くない気候が続きました。結果として暑い日がそれなりに多かった年に。
つまり猛暑と冷夏は言葉の上では対蹠する存在ですが、自然現象としては『周極うず』の発達、偏りから生まれるものですから、親は一緒のきょうだいのような存在というわけです。

2020年も『周極うず』の発達が顕著であれば偏西風のカーブに顕著な偏りが起こり猛暑か冷夏の方向に触れるでしょう。それがどちらになるのか?明確な理由があるのでしょうが、もう10年くらい様子をみないと分からないことが多々あります。

東京オリンピックは『周極うず』さん次第でしょう。
『周極うず』は太陽が放射する帯電微粒子の量と関係があるデータが揃ってきています。
2020年は帯電微粒子の放射がとても弱い時期であろうことが分かっています。



例のエントリで論拠を示していますが、
もしも今年が冷夏になったとしても7月、8月に降雪が起こらなければ
その冷夏はなみなみな冷夏という事です。

飢饉は五穀凶作か?十穀凶作か?そのような類別をすると資料整理し易いようです。
少なくとも今夏が冷夏に終わっても十穀凶作まではいかないでしょう。

その類別は下の著書で提唱されています。

参考
タイトル・饑年要録
福沢 憲治/著

「 この『饑年要録』は、天保5年(1834)春、福沢賢治により著されたもので、奥書によれば、明治7年(1877)筑摩県庁に勤務する伊那の国学者北原稲雄がこれを世に現わしたものと考えられる。 飢饉は異国の説に五穀実らざるを飢といい、十穀実らざるを饉というが、日本に於いてもこの説にもとづくべし、として過去をさかのぼって、天文14年(1545)・寛永19年(1642)・延宝3年(1675)・天和元年(1681)・享保17(1732)・天明3年(1783)・同6年・天保4年(1833)の飢饉をあげる。 そのなかで、顕著な飢饉の様相を示した天文14年・天明3年・6年・天保4年の各飢饉を取り上げ、その状況を説明する。 さらに、「飢饉は時ありて来るゆえにまぬかるべきに有らねば」として、その凶荒食などの対策を縷々述べる。」
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059276516-00?ar=4e1f&locale=en
原本データページ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536090

※誤字があると思われますが原文ママで引用(憲治◎)
※五穀凶作は『飢』、十穀凶作は『饉』
※この著書のタイトルは饉年要録。つまり十穀凶作となった年にスポットを当てている
※天明の飢饉での注意点は1783年が十穀ロスト。しかし餓死者病死者のピークは翌年の猛暑年。そこを勘違いしてる資料が多い
※そもそも五穀十穀の概念は仏教関連の著書にて断食の用語として用いられることが多い。
※品種改良が進んだので現代と当時でかなりイメージが異なる。記された当時の様子を必ず踏まえること。


例えば1783年の現在の岩手県では8月に霜や降雪が記録されています。
天明の飢饉の最中ですね。その年に極端な大凶作となり翌年は盛夏になるも
食料が尽きて大飢饉になってしまいました。その年は十穀凶作の『饉』パターンです。
十穀凶作のパターンでは五月から気候が冷陰と記録されているものです。

もしも今年が冷夏になれば、それは太陽活動が極小期へ向かっている最中の冷夏になり
イメージ的には1993年の冷夏に近いかもしれません。イメージ的に五穀凶作「飢」レベルの天候不順年です。ただし品種改良が進んでいますので1993年よりは酷い事にならないと思いますが・・・・


最大の注意ポイントは太陽黒点の極小期付近は極端な気候になるということ。それが猛暑だったり冷夏だったりするわけです。その根拠も例のエントリで示しています。

今日は以上です。