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太陽活動の変動と大気還流・補足 [太陽活動低下問題]




2023年3月9日メッセージ
こちらのページからアクセスされた方へ

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現代の温暖化なる現象の主因は?



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太陽風(プラズマ)に対して太陽光が約60年間遅れて変動していた事が主因の模様



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一例・気象庁高層観測所公式ページより
太陽光に関する数値は上昇傾向



https://mogura-no-mogu.blog.ss-blog.jp/2023-07-01-minna-de-kangaeyou-mogu
↑↑↑↑
上記リンク先が我々の最新の発表です。太陽活動の変動により、短波、帯電微粒子がオゾン層を加熱し圏界面にひびき気圧を変化させている・・・・・気象庁OB須田瀧雄博士の発表を踏まえて大きく前進しています。今回の更新により、太陽と地球間における出来事の統一的イメージをおおよそ描くことに成功しています。



2019年5月6日メッセージ
近日この補足エントリーを大幅にアップデートします。
興味深い客観的証拠を入手。それを根拠により核心に迫る事実に辿りつきました。
掲載したままにしておきますがアップデート後にお目通し頂くべきだと思います。
直近240年の太陽活動をよりロジカルに説明できるようになりました。




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『ぱぱもぐ』

https://mogura-no-mogu.blog.so-net.ne.jp/2017-11-21
上記リンク記事の補足になります。

現時点で報告しておくべきポイントについてまとめます。

このページは本編に訪れた方のうち、30人に1人くらいの方が訪れて下さっています。
きっとここまでお目通し下さっている皆さんは一定以上の頭脳をお持ちの方でしょう。そんな皆さんならこのページは楽しい内容となっていると思います。

ではさっそく始めましょう。なおこのページは私がリードしますが各発見はもぐらのもぐチームのそれぞれのメンバーです。




★大太陽活動期の定義と用語★
大太陽活動期について解説していくに当たり必要な定義と用語をまとめました。
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最大限適切かつ簡潔に造語してみました。

太陽活動関連用語は『極小期』という用語が『同字同音多議語』になっており、混乱を招くこと必至です。同じ轍を踏まないように配慮してみました。

この定義と用語の誕生により・・・・次サイクルの予測を数式化できることになります。
当然に黒点観測の記録が少ないので精度が低いものとなりますが、たたき台レベルであっても、人類として大きく一歩前進するという意味を持つでしょう。予測値の件はこのページの途中で紹介します。


◆その1◆
第一大太陽活動期の謎

まずは念のために図版をリマインドさせて頂きます。

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もぐらのもぐ大太陽活動期(ほぼ120年周期)ですが、第一から第三までが確認できると思います。

そのうち・・・・第一もぐらのもぐ大太陽活動期についてですが、『天明系偏西風蛇行期』の確認が取れていません。そして『天保系偏西風蛇行期』についてもです。

まったく発生していないのか?それとも弱くは発生していたのか?定かではありません。しかし、それぞれの中間地点となる3~4年の冷害期は元禄年間に確認されています。

より古い時代のことなので年貢の帳簿などより多くの情報をつき合わせて包括的に評価しないと不明です。この件はいずれは突き詰めて検討しなければならないポイントでしょう。マウンダー極小期の最中ということで、太陽活動の変動が上昇しないまま過ぎた時代であり、偏西風蛇行が結果として安定的な時代だった可能性があります。

次のポイントに移ります。



◆その2◆
大太陽活動期の移行期について詳しく


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第一大太陽活動期から第二太陽活動期の接合時期に起こっていたこと。について。
我々の説ではこの図版内のサイクルは唐突な暴発(ぼうはつ)と考えております。その理由の一つに、大太陽活動期がほぼ120年であるとお伝えしておりますが、暴発しつつも何が何でもほぼ120年の周期を守ろうとしているかのように、最終サイクルが極端に短く終了しています。

第一大太陽活動期の最終周期は『サイクル3:期間9.3年』になりますが、サイクル24までの中で二番目に短いサイクルとなっております。最も短いのは『サイクル2:期間9.0年』です。

そんな慌しいサイクルの中で『天明系偏西風蛇行期』が発生しております。

追記があります。
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西暦1770年9月17日に、日本各地で壮大なオーロラが観測されていたとの事。暴発の影響だったのでしょうか?史上最大級の磁気嵐の可能性を指摘されています。オーロラの様子は各地の文献や絵画として残されているとの事です。見返り美人の画で有名な本居宣長氏も記録に残していたとの事。※下の画像は本居宣長氏が記録したものではありません。

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画像はスプートニクより引用

参考・国立極地研究所
https://www.nipr.ac.jp/info/notice/20170920.html
参考・スプートニク
https://jp.sputniknews.com/science/201710074159778/

サイクル2:全サイクルの中で最も期間が短い。オーロラ発生。史上最大級の磁気嵐の可能性
サイクル3:全サイクルの中で二番目に短い
※大太陽活動期が切り替わる
サイクル4:全サイクルの中で最も期間が長い。

極端に短いサイクルから極端に長いサイクルという定型的ではない展開なのは明らかです。そしてサイクル5、サイクル6はダルトン期という反動が?ダルトン期は江戸で積雪が多かった時期。偏西風蛇行に影響があったのでしょうか。




次は第二大太陽活動期から第三大太陽活動期の移行期について。

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この移行期では、最終周期が早く終わりそうになったようで、ダラダラと長引き新120年に向けて帳尻を合わせようとしているように見えます。

すなわちこの時期は『無黒点の日』が多い時期でした。
我々が公表した説をJAXA常田教授はご存知ではないと思いますが(インターネット検索をして情報収集をなされるとは思えませんが・・・・)、常田教授名義で公開されているこちら
https://hinode.nao.ac.jp/uploads/2016/05/12/cd3e2cf889fac15f1f9e1595668921093a0e707c.pdf
において、西暦1900年頃に無黒点の日が多かったことがレポートされています。

こちらはJAXAのレポート。こちらでも西暦1900年頃に無黒点の日が多かったことがレポートされています。
https://repository.exst.jaxa.jp/dspace/bitstream/a-is/15417/1/64382018.pdf

本編で触れましたが、この接続時期において極小期を迎える一ヶ月前に日本の観測記録における最低気温の更新と、その同日に八甲田山雪中行軍遭難事件が発生しております。
 我々は太陽活動の変動による偏西風蛇行を唱えているために黒点観測数の減少による平均気温の低下なるものにそれほど神経質にはなっていませんが、太陽活動が120年の中で最も不活発的な時期にそのような事が起こっていたことは興味深いポイントと言えるでしょう。


次は第三大太陽活動期から・・・・・第四大太陽活動期?について。

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現在(2018年)進行中のサイクル24。120年前のように早めに最終周期が早く終わりそうになり、新120年を目前に帳尻合わせのためにダラダラと推移しているのではないのかな?と考えます。
※追記:2019年2月現在は我々の予測通りといえる展開で推移中

2008年12月からサイクル24が始まっております。
120年周期説では、西暦2022年に切り替わり、そして『天明系偏西風蛇行期』が再々来しそうな気がします。

するとサイクル24は13年間~14年間の長さになります。まったくあり得ない長さではないことは過去のサイクルの記録から考えられます。

13年間→2021年12月
13年間と二ヶ月→2022年2月
13年間と四ヶ月→2022年4月
13年間と六ヶ月→2022年6月
13年間と八ヶ月→2022年8月
13年間と十ヶ月→2022年10月

※参考:サイクル23は12.6年

そこで次のサイクルに切り替わり、サイクル25に顕著な上昇が見られれば・・・・『天明系偏西風蛇行期』が発生するのか?

JAXA常田教授らの予測するマウンダー極小期並の著しい太陽活動の停滞期に入ると、『天明系偏西風蛇行期』は発生しないかもしれません。マウンダー極小期の間はそれら(7年天候不順パターン)が発生していないようです。しかし元禄年間に3~4年の天候不順パターンは発生していたようですし・・・・うーん。悩ましいですね。

もしも2022年より前にサイクル24が終了し、かつ、太陽活動に顕著な上昇が見られたら?どうなるのでしょうか。さてさて。注目のポイントですね。

第三大太陽活動期の中の最大点付近でも比較的大きなオーロラが発生していたとの事です。西暦1957年と西暦1958年。ただし西暦1770年のオーロラほど壮大なものではなかったようです。

◆その3◆
ダルトン期について
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我々の説としては、マウンダー極小期とダルトン極小期とは起こっていた事が違うのではなかろうか。と考えそれゆえ用語を変えたほうが分かりやすくなるのでは?と提唱しております。

ダルトン極小期→ダルトン反動期がより分かりやすいかもしれません。

第一大太陽活動期において、マウンダー無黒点期から復帰開始。しかし低下傾向へ向かうところで突如暴発し始めたのでしょうか?そして3サイクルほど不活発期があります。失速してしまったのでしょうか。
 もしもこの考え方が事実であると、この期間から様々なことが考えられることになります。太陽内部の核心的なことまで分かるかもしれません。
 暴発とその反動があったので、この期間の太陽活動が複雑化してしまったゆえ、目視による大周期の発見を遅らせてしまったのでしょう。
 
120年説では、ダルトン暴発期、ダルトン反動期、とでも造語しておきましょうか。マウンダー不活発期、マウンダー無黒点期、どちらが良いでしょうか。

ダルトン期は妙に冷害傾向が強かった事は豊富な記録から確認できます。絵画や文献など。暴発、反動でなぜ冷害傾向が強まったのか?後世の研究者さんにお任せしましょう。


◆その4◆
2重極から4重極に。について。

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(C)国立天文台/JAXA

太陽の磁極が4重極に移行。常田教授らはマウンダー極小期突入前にも起こっていたのでは?との見解です。
https://hinode.nao.ac.jp/uploads/2016/05/12/cd3e2cf889fac15f1f9e1595668921093a0e707c.pdf

我々の説では・・・・大太陽活動期の最終周期で発生しているのが注目のポイントです。
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ここ数サイクルはウサギさんの耳のようにピークが二回確認できます。サイクル24の一回目のピークで4重極に移行したようです。不思議なことです。

いつ2重極に戻るのか?
戻る保証はないのですが・・・・もしも2重極に戻るならどのタイミングか?
 サイクル25に切り替わった時に戻るのか?サイクル25の極大期で戻るのか?

大太陽活動期が切り替わる最終周期の極大期付近から必ず4重極に移行するのか?などなど根拠無く様々なパターンを妄想してしまいそうになります。

この件も注目のポイントです。大太陽活動期の最終周期ですから、他のサイクルとは違うことがおきてもおかしくはないでしょう。



★その5
人類初:次サイクルの黒点観測数予測値

次のサイクルの黒点観測数は?大太陽活動期という概念が登場すると、それに沿った黒点観測数予測を単純な計算で求めることが出来るようになります。
 とはいえ現在第一から第三までの大太陽活動期しか確認できていません。ですから根拠とする情報が少ない状況ですから精度はかなり低い訳ですが、大太陽活動期を提唱する我々として今後のこの研究の礎すなわち叩き台としての考え方を残しておかねばならないでしょう。この考え方を、数千年分のデータを踏まえて発展させれば良いでしょう。考え方として面白いと思っていただければ幸いです。

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まず・・・・第一から第三大太陽活動期において、正常の推移を辿ったと思われる期間と、異常と思われる期間とに類別します。


サイクル25の予測値は?

大太陽活動期の最終周期と開始周期の黒点観測数の変化の平均値を求めれば開始周期の黒点観測数の予測値を算出できるはずです。
 西暦2018年において、正常期間から該当する条件をピックアップすると、第二大太陽活動期から第三大太陽活動期への移行期しか根拠がありません・・・・。たとえば第九九九大太陽活動期まで進行すれば、豊富とはいえませんがそれなりの根拠を基に平均値を算出できます。仕方がないですね。

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第二大太陽活動期 最終周期の極大期黒点観測数(サイクル13) 87.9
第三大太陽活動期 開始周期の極大期黒点観測数(サイクル14) 64.2

最終周期に対して開始周期は・・・・約73%の黒点観測数という数字になります。
すなわちこれが、大太陽活動期の最終周期と開始周期の平均値という事になってしまいます。仕方がないことですが・・・・

サイクル24がまだフィクスしておりませんが・・・サイクル24の極大期を76とします。
サイクル25という大太陽活動期の開始周期における極大期の黒点観測数を、過去の平均値(最終周期の約73%の観測数)を根拠にして算出すると・・・・

サイクル25の極大期は約55.48に?

大太陽活動期を重ねるごとに根拠が増えますので将来はより精度が上がるでしょう。気が長い話ですがいつかは西暦1万年といった未来はやってくるのでしょう。

そして、最終周期から開始周期への予測値だけでなく、前半期(登り)と後半期(下り)の中で発生するサイクルの極大期予測値もさきほどの考え方を応用すれば求めることができるでしょう。

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このように大太陽活動期を事実とすると、このテーマの研究が一気に加速するのではないでしょうか?
大太陽活動期を細かく定義すると自ずとこんな予測値などという考え方も成立するという事が伝われば幸いです。


※現在続きをタイピング中


★その6★
放射性炭素14と大太陽活動期

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※グラフの数値はウィキペディア当該エントリーより引用

放射性炭素14グラフから追う大太陽活動期になりますが、これを見る限りでは西暦1180年から西暦1301年の大太陽活動期はM字型であり後半から黒点観測数が不活発気味になったのでしょうか。

西暦1301年から西暦1420年までの大太陽活動期は、スタートで不活発気味でしたが復活し始めたように見えますし、M字型ではなく三角形型の大太陽活動期に変化したように見えます。

そしてシューペラー不活発期を挟み、放射性炭素の測定値としては西暦1541年~西暦1660年に三角形型の大太陽活動期が確認されます。しかし黒点観測数は無黒点の日がそれなりに多かった120年だと思われます。

西暦1661年~西暦1780年はマウンダー不活発期が前半に入りますが後半から三角形型の大太陽活動期が始まり、それが第一大太陽活動期と定義しております。

第二大太陽活動期はダルトン暴発期からダルトン反動期が前半に入りますが後半から安定へ。

そして第三大太陽活動期に。ただし放射性炭素14による測定は核兵器開発が始まり、人為的に大気中にて核分裂が行われてしまった為に、この方法による太陽活動の測定が不可能となった時期があります。

さて、ここまで第三大太陽活動期を三角形型として解説してきましたが・・・・放射性炭素14による第三大太陽活動期を測定できれいれば、M字型になったのかもしれません。

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※黒点観測グラフ・ベルギー王立天文台

強調するとこのような極大期のカーブを描いており、もしも核兵器開発による人為的核分裂が行われなければ放射性炭素14値もM字型に測定されたのでは?と考えます。

すると・・・・西暦1180年頃から西暦1300年までの大太陽活動期がM字型であり、その後600年間とも言えますし大太陽活動期5期分とも言えますが、その期間は不活発気味であり、そして西暦1902年からの大太陽活動期にて数百年ぶりにM字型の大太陽活動期となったのかもしれません。

関係性は不明ですが竹の開花の件。ハチク類は大太陽活動期の最小点付近で開花し、マダケ類はM字のセンターの谷間付近で開花していた事になるのです・・・・

正村氏の複雑で合理的ではない理解が、実は一周するとあながち妄想ではない部分もあるのかもしれません。現時点ではそうは思えなくとも・・・・


★その7★
太陽さんの体内時計? 縦軸と横軸という考え方

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『やませ』をヒントにこの大太陽活動期が浮かび上がってきた訳ですが、この研究を一連の気づきで続けてくると、猛暑をポイントに考え始めるのではないでしょうか。
 天明系偏西風蛇行期の中の猛暑をポイントとして・・・・周期性が事実であったとすれば・・・・横方向への進行、つまり時間の進行ということになりますが、120年の周期性という体内時計が存在するのかな?と考えられます。

その120年の体内時計はどのような現象が原因で起こっているのか分かりませんし、それは永遠に続く法則なのか分かりませんが、現在確認てきているのは120年です。

そして、縦軸という黒点発生の法則は何らかの影響で狂い易いのだと思います。

この考え方からすれば、体内時計の120年周期は固定的。黒点の発生はおおよその法則性がありつつも何らかの事に影響を受けて狂いやすいと考えることができます。

どんなに縦軸が暴れても、横軸という120年周期の体内時計には影響がないと考えられ、120年の体内時計が上位の現象となり、黒点の発生はそれに従う下位の現象となり、120年の体内時計と黒点の発生には主従関係があるかもしれません。

現時点では目に見えている黒点によりサイクル分けがなされていますが、太陽への理解が進むと、太陽の体内時計を基に大太陽活動期が定義されるのかもしれません。

サイクル3からサイクル4の暴発期は、体内時計では西暦1782年に大太陽活動期が切り替わっていると思われます。目に見えた黒点から判断すると西暦1784年になっています。

マウンダー不活発期の最中に、黒点観測数が極端に少ない中でも、体内時計といえる120年の大太陽活動期が切り替わっていたのだと考えられます。

大太陽活動期とは太陽の核心的な事に関わる体内時計ともいえるのかもしれません。黒点の数からおおよそ推測できるのでしょう。黒点=体内時計ではないのでしょう。

この考え方が事実であると、黒点という目に見えたものに一喜一憂して振り回されなくなるのだと思われます。

★120年の体内時計
★黒点発生に関係すること

主従関係があり、かつそれらの複合の結果、地球の気候に影響がある事象が発生する?
一次現象は法則性が強い。黒点の発生は二次現象以降の事象。そんな印象を抱き始めています。


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この図版は興味深いポイントが多くあります。こちらも人類初のものではないでしょうか。
よく眺めていると、太陽内部で起こっている1次現象、2次現象の存在が見え隠れしているかと思います。

この図版は我々自身でもビックリな内容です。

一次現象とは自動車でいえばスパークプラグの発火タイミングに等しいのかもしれません。そこに、燃料が噴射され、黒点観測数が上昇する。しかし発火タイミングはほぼ120年の正確なマッピングが存在するのですが、燃料の噴射(黒点の発生に関わる事象)はなんらかの理由でゆらぎ易いのではないでしょうか。そんな事も考えられる結果です。太陽さんの熱核融合活動の核心的なことも見え隠れしてきたような気がします。

サイクル2辺りからの極端な上昇は・・・これは本来内燃機関の用語ですが・・・・太陽活動におけるデトネーションのような事象が起こったのかもしれません。(妄想の域になってしまいますが)

マウンダー極小期とは燃料切れで失速したイメージでしょうか?一次現象は予定通り進行しつつも二次減少である黒点を発生させる燃料が、なんらかの理由で燃料切れを起こし黒点発生が著しく減少した?・・・・燃料が湧き始め復活開始。ところがダルトン暴発期が。突如暴発し数サイクル先までの燃料にまで引火してしまった・・・結果として暴発後の数サイクルは燃料切れ気味だった?こんなシナリオを妄想してしまいます。

☆スパークプラグ点火タイミングはマッピングがあり繰り返されるもその点火にバラつきが存在する可能性
☆燃料の噴射にバラつきがある可能性
☆両方の可能性
これもありえます。

いく世紀も太陽観測をし続けてその中で再びマウンダー不活発期のような状態が発生すると、そのデータを踏まえて正しい評価ができるようになるかもしれません。

我々は偶然にもサイクル24の終局でこの研究を開始でき、関豊太郎教授らよりはデータが揃っていましたが、しかし数世紀後の学者さんに比較すればデータは大変限られています。
分からないものは分からない・・・・ある程度の諦念をもって後世に託すのがベストなのでしょうか。

こんな図を追記させて頂きます。※2019.02.13
気づいてはいたのですがやっと図が届きました。

tokuni-chuumoku-2point.jpg

この重ね合わせた二つの時代の大太陽活動期ですが・・・・2つのポイントをピックアップしました。

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ピックアップAのその1
濃い方が古い時代の黒点観測数ですが、120年後(1900-2020)では極大期が発生していた付近で小さいながらもピークがあるのです。これはいったい何なのか?
一つの可能性として小さいながらも一つのサイクルだった可能性がありますねベビーサイクル?
 1次現象?のスイッチは入っていたのでしょうか。いつかこの小さなピークが小さいながらも一つのサイクルと認定されれば現在サイクル26の終わりになるのでしょう。この小さな山はサイクルの可能性があります。

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ピックアップAのその2
120年後に極小期があった付近でも黒点発生に変わった動きが見られます。120年後の極小期付近で、黒点発生数のちょっとした落ち込みなどが確認されます。

ピックアップAはいわゆるダルトン極小期であり、江戸で積雪が多い時期であり冷害傾向が強い時代だった事は史実の通りです。マウンダー極小期とは比較にならないくらいのレベルです。それはこのような定型的ではない展開が進行し地球の気候へも定型的ではない影響があったのかもしれません。
 極小期と極大期が120年後と完全にかみ合わない時期です。当然に何か起こってもおかしくはありません。このダルトン極小期の冷害傾向や天明年間の大凶冷群をあてずっぽうにまとめに理解してしまい「江戸時代は小氷期で寒冷化していた」と発表している学者さんが少なくはありません。時系列に沿った理解が必要です。
※ダルトン極小期の定義が変わる事になるのでしょうか。西暦1933年9月まで延びる事になるのでしょう。


pick-up-b-02.jpg
ピックアップB
こちらは120年後は元気よく立ち上がっているシーンで少々失速。その後小さな谷が発生し上昇に転じるもサイクルを通して定型的ではない様子の展開を辿っています。その次のサイクルでは定型的な様子に復帰したように見えます。学者さん(人類)としては失速後の小さな谷のタイミングでサイクルが切り替わったと定義していますが、物理的には一瞬ピークに向かいそうになった直前付近がサイクルの切り替わりだったのかもしれません。
※定型的なサイクル、不定形的なサイクル、という概念も登場してしまいました。


pick-up-b-03.jpg
ピックアップBの補足です。
目に見えた一番低い所が極小期とは限らないかもしれません。先入観を持たない方が良いと思われます。これまでの理解による極小期、極大期という定義が、データが蓄積されてくれば変わる事になるでしょう。

このように、黒点という目に見えるものとは別に、太陽内部の1次現象の存在が見え隠れしております。もしも我々が発表している事が事実であれば大変な話・・・・我々が次々発表して申し訳ない気持ちです。研究すればするほど疑いを深める気づきが・・・・
 
★1780-1900
★1900-2020
この二つの時代のうち前者の方が小さな山(ベビーサイクル?)がいくつか散見され、後者はあまり確認できません。おそらく・・・・後者の時代はとてもきれいな展開だったのだと思われます。この時代の大太陽活動期の記録は後世において参考とされることだと思います。小さな山はあてずっぽうに発生していたのではなく120年の点火マッピングに沿っているようですから面白いですね。

さて

これらの件を突き詰めていくとどこかでエルニーニョ現象などの事象と繋がるのかもしれません。
我々の説としては、現時点では説明できていませんが、エルニーニョ現象なるものは太陽活動の変動の影響から発生するのではないか?と考えます。

エルニーニョ現象を気候現象の最上位と考えるとエルニーニョ現象に影響を受けて太陽活動が変動しているという理解になってしまいます。それはさすがにありえないと思われますが、エルニーニョ現象は太陽内部の1次現象と関係があるのかもしれませんね。妄想のレベルですが。

mousho-reika-1973-1977-ver04.jpg
近日こちらの図版についてポイントを追記します。


★その8★
前半期と後半期という概念で
※図版の文言にミスがあります。すぐに修正するのでお待ちくださいませ。

daitaiyou-zenhan-kouhan.jpg

大太陽活動期という概念が登場すると・・・・前半期と後半期という区分け方ができます。大太陽活動期といってもしっかりと確認できているのは1回分のみ。
ですから平均値というのを算出してもあまり意味がありませんが、一つの考え方として示しておきます。

前半期5サイクル。これは上り調子であり、後半期に対して期間が短いのが特徴です。そして昔の文献でいう凶冷群が起こります。

後半期5サイクル。これは下り調子であり、干ばつや洪水傾向となり、前半期に比較し5サイクルの平均が長くなるようです。※サイクル24は13年と仮定しました。

なぜ、前半期の方がなぜ短いのか?不明です。その差が気候に対してどのような影響を及ぼすのかも不明です。



★その9★
※取り下げます。しかしこの考え方があり真実に辿りつきました。近日再公開
★その10★
※取り下げます。しかしこの考え方があり真実に辿りつきました。近日再公開


★その11★

ヤマセ。これは日本独自の自然現象による災害です。他の国では体験できません。
この表現は誰も疑わないでしょうし、社会通年理解であり、極めて当たり前な事です。

ユーラシア大陸東岸の島国日本は冷夏による災害を地球上で最もうけやすい-1993年平成大凶作,1980年冷害,1783~88年天明大飢饉など
https://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s22reika/reikasaigai.htm
独立行政法人 防災科学技術研究所 自然災害情報室

しかし・・・・それはあくまでも『人間やカエルやモグラの社会での概念』でしかありません。
 数億年以上昔・・・・パンゲア大陸という一つの巨大な大陸があり、それが分裂し現在の状態に。しかし今後も大陸は移動をし続けやがて一つの大陸に戻るだろうと予測されています。
 という事は・・・・ヤマセは現在の大陸配置だから発生すると言えます。ヤマセは数億年以上前から発生していたものではなく、未来永劫存在するものではありません。現在のこの大陸の配置の時にタイミングよく知的生命体がいたから一連の発見をする事ができたと言えます。この地球の創造主が観察していればこのような評価を下すのでしょうか。

ヤマセをカギに太陽の大周期と気候の相関性を発見する事は、地球の歴史において全てのタイミングでできる訳ではないのでしょう。

★その12★
マウンダー時代は太陽活動が低下していた。との表現は誤り?

マウンダー無黒点時代は太陽活動が低下していた時代ではなく、Rising Forceが発生しなかった時代ではなかろうか?という考えにいたっています。(現時点において)
 無黒点期間はゼロ地点であり上昇し下降してきてゼロ地点に戻るという理解であれば「低下する」という表現ではなく「上昇しない状態が継続してしまった時代」と表現したほうがしっくりします。
 Descent Forceが発生して起こっていた状況であれば太陽活動が低下していた、と表現するべきでしょうが・・・・

マウンダー時代は偏西風蛇行がゆるやかに推移し天明系、天保系の偏西風蛇行期(大凶冷群)が発生していません。太陽の活動が活発的に上昇下降を繰り返す時代のほうが気候が目まぐるしく転移しているように思えます。放射性炭素14の値が高い時代に記録に残る天候不順期(大凶冷群)が起こっているような?

 


★ご質問にお答え
天明の飢饉以前の事。あくまでも本日(2019.2.5)時点での私見。明日は全く違う事を考えているかもしれませんが・・・・
 天明の飢饉の120年前はマウンダー極小期。我々的にはマウンダー極小期はむしろ気候変動なるものが激しくなかった印象です。それは三重大学・水越名誉教授らと同じ見解です。マウンダー極小期が寒冷的だったと言ってる方はよほど偏った注意と集中で掻い摘んでいるはず。

マウンダー極小期より前はシューペラー極小期と戦国時代が重なっています。戦国時代は社会システムが崩壊しており農業力が低下していたこと、資料がより少なくなるので本格的なサーベイを行えないとなんとも言えません。
 我々が東北地方の気候に絞って研究し続けたのは『やませ』の記録に注目し始めた事と大規模サーベイなんて当然に行えない為におのずと東北地方の気候に絞り集中し研究する事となりました。

たった千年程度前の事でも想像以上に記録が残っていないものです。数年に渡る偏西風蛇行期がマウンダー極小期よりも前に発生していたか?決定的な証拠が少ないものです。

公開していない資料は少なくはありません。それらは過去の気候の記録を様々な形で考察する為に制作したものです。作りかけのものも多いです。所詮は古い文献は化学データではありません。必死になりすぎるとそれを忘れそうになります。無理をせずに諦念を持って分からない事は分からないと割り切ってしまうしかないでしょう。


その他発見がありましたら追記していきます。


太古より度々数年に渡る天候不順期があったのなら高床式倉庫とはコミュニティの維持継続にマストなものだったのでしょうか。世界各地で見られるものです。
 江戸幕府は人権意識が著しく低下していた時代であり、その意識こそが大飢饉の主因なのだと考えざるを得ません。