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太陽活動不活発化と太陽光についての論考 [太陽活動低下問題]

こちらの記事は
http://mogura-no-mogu.blog.so-net.ne.jp/2017-11-21

http://mogura-no-mogu.blog.so-net.ne.jp/2018-06-15-redefinitionofmaunder

この二つの記事の補足となります。

※こちらの論考は方向性として誤ってはいませんが、最新の見解はより前進しております。
※追記2018-07.28太陽活動が低下している時、太陽光のパワーダウンは0.1%以下とJAXA常田教授のお話。(NHKコズミックフロント・迫り来る太陽の危機の回にて)

武蔵野美大宮原ひろ子教授(当時:東京大学宇宙線研究所)
中世の温暖期と近世の小氷期における太陽活動と気候変動 - 樹木年輪中の炭素同位体の分析から:2008
太陽の変動が気候変動に与える具体的数値は・・・・・
⇒1次宇宙線15%
⇒日射量0.1%
⇒紫外線3%

こんな数字が推定されております。

太陽は核融合を起こし、こんなにも離れた地球に膨大なパワーを送り続けてくれています。現在の人類では太陽に代わるエネルギーを生み出す事は出来ません。0.1%と言っても、その0.1%でも膨大なエネルギー量となります。

宇宙空間はマイナス270度の世界。日本の夏は30度を超える事がありますが、すると300度ほど温めてくれているのが太陽光です。

0.1%の減少・・・・0.1%だと仮定して話を進めますが、300度の0.1%は0.3度です。

仮に0.1%キッチリと太陽光が減少したら地球では0.3度ほど下がる影響があると考えて良いのでしょうか。

僕のこのぶろぐにてマウンダー極小期は約140年続いていたと考えるのが妥当であると公表しました。もしも140年間に渡り毎年0.1%の太陽光の減少が起きていれば140年辺りでは最大14%もの太陽光減少していた事になります。

もしも・・・マウンダー極小期と思われる1645-1784(1640〜との説も)までの期間が太陽活動が不活発的だったのですがその期間ずっと毎年0.1%の太陽光の減少が起き続けていたら、太陽活動が活発的な140年と比較し延べ約14%もの太陽光の減少が起こっていたと言えます。

僕は太陽活動が不活発化すると、雲量上昇からの天候不順傾向が起こり、その他事象と複合し、地球では天候不順傾向が強まり人類を悩ませるという論考を公表している訳ですがそれがかなりの長期間────数十年以上となれば、ほんの少しの太陽光の減少でも、大きな違いが現れるのではなかろうか?という思いに達したのです。

0.1%のパワーロス。モータースポーツの世界ではとても大きなハンデになります。その差が優勝か?二位か?を決定するほど。一つの直線でほんの数センチの差が数十周もすれば数メートルに。エンジンのパワーだけではありません。バイクかつ小排気量のレースでは相手ライダーに比較し体重が0.1%軽いだけで、一回一回のコーナー立ち上がりで有利になります。0.1%・・・・。バカにできない数字なのです。

太陽からの膨大なエネルギー。その0.1%の減少が1年や2年で終われば良いのですが、140年といった長期に渡るとそれなりに影響が出てくるのではないか?

マウンダー極小期を140年続いていたと考えると、1770年代は終局にある訳ですが、黒点の数の割には日本の江戸、東北はかなり寒冷的だったようです。1770年代のうち数年は極端な寒さだったようです。長期化する天候不順傾向。日本各地で散発的に飢饉が発生。農村が困り果てていた時に1783年からさらに状況が悪化。天明の飢饉が発生してしまいました。天明の飢饉は当時の総人口の三%が餓死。多くの人民が飢餓体験。先に亡くなった人の遺体を食べて生き残った事実が残っています。

気候は様々な事の複合の結果。現在の人類では完全解明できません。しかもマウンダー極小期の頃の話となれば大昔の事なので将来的にも完全解明は難しいでしょうが、天明の飢饉の原因や、第3太陽活動周期下の天候不順傾向の原因として、0.1%以下の太陽光の減少が約140年続いていた事も関係があるのかもしれません。

江戸や東北の1770年代はかなり寒冷期だったようです。黒点の数はそれなりに復活してきた時期。しかしなぜ極端に寒冷的だったのか?ぐるぐると考えていたら思い至ったのが今回の論考です。

当時もしもF10.7が観測できていたらどんな推移を示していたのか?考えてしまいます。